特集 イントロダクション|ばちらぬん ヨナグニ~旅立ちの島~
特集 イントロダクション
INTRODUCTION
特集
FEATURE
時代の波に翻弄される文化、言葉、暮らし
それでも島に息づくものがある。
かつて「与那国島」はアジアの交易の中継地として栄えてきた。その交流から生まれた文化と、日本や沖縄本島とも異なる独自の言語は島の誇りであった。
1972年、沖縄の日本本土復帰とともに、与那国は日本の最西端つまり国境の島になった。
その後50年の間、島はどのように移り変わり、人々の暮らしはどのように変化したのか。
そして、時代を経てもなお変わらないものとは ――
2021年、世界がコロナ禍に見舞われる中、与那国島は二つの映画を生み出した。
島に生まれ育った若き才能が描く望郷の島 『ばちらぬん』。
欧州からやって来た気鋭の視点で描かれる日常の島『ヨナグニ ~旅立ちの島~』。
与那国島を新たな角度から描いたこの作品を通して、国境の島そして復帰50周年の意味を問い直す。
与那国島ってどこ ?
日本最西端に位置する国境の島。東京から南西に約1,900km、石垣島から127km。台湾までは111kmに位置し、晴れた日にはその山々を望むことができる。人口は約1700人、面積28.88平方kmの小さな島ながら、黒潮の激流が造り上げた壮大な自然と文化が色濃く息づく。主な産業は漁業や農業で、祖納(そない)・比川(ひがわ)・久部良(くぶら)の3つの集落がある。琉球王朝と南方文化の影響を受けた文化芸能は、ハーリー祭、豊年祭、金比羅祭などがあり、島の人々によって受け継がれている。2016年に自衛隊の駐屯が開始され、人口の15%に当たる自衛隊員とその家族250人が住民に加わり、複式学級が解消される小学校も出るなど、島の暮らしには大きな変化が生じつつある。
MAP
沖縄県 与那国島周辺
- 緯度・経度
- 24.459251062906088, 122.99462682025388
ヨナグニヒストリー - Chronicle -
■ グスク時代
- 13世紀
- この頃、集落をまとめる按司が現れる。
- 15世紀末
- 女首長、サンアイイソバが現れる。
- 1500年
- オヤケアカハチの乱(八重山征伐)
- 1500年
- 与那国征伐。宮古軍が与那国を攻めるも、サンアイイソバが撃退。
■ 琉球王国支配下
- 1510年
- 慶来慶田城用緒の嫡男、祖納当が与那国与人になる。
- 1522年
- 与那国征伐(鬼虎征伐)。宮古軍が与那国を攻め、鬼虎は没す。
- 1522年
- 以降、琉球王府の完全支配下となる。
- 八重山では仲宗根豊見親の嫡男、金森が八重山頭となった。
- 1524年
- 首里王府から送られた西塘が、竹富大首里八重山大屋子となる。
- 実質的に、八重山も琉球の支配下になった。
- 1602年
- 八重山で疱瘡発生。死者多数。
■ 琉球王国支配下(薩摩藩勢力下)
- 1607年
- 薩摩藩が琉球に侵攻。琉球は薩摩の支配国となる。
- 1611年
- 薩摩による八重山検知。与那国は毛利元親が検知。
- 1625年
- 石垣島、桴海村津波に襲われ全村流潰(八重山島年来記)。
- 1637年
- 宮古・八重山に人頭税が科せられる。
- 1651年
- 与那国島の人口500人
- 1667年
- 石垣島で大地震(八重山島年来記)
- 1771年
- 明和の大津波。与那国島では他の八重山の島々のように大きな被害はなかった。
- 与那国島の人口972人
- 1776年
- 八重山で飢餓と疫病が3年も続く。
- 1796年
- 八重山与那国村の宇江城、米・芋を餓者に与へて以て人命を済ふの善行を褒賞す。
- 1801年
- 与那国島祖納村の船筑松原仁屋の善行を嘉奨し、筑登之之位を賜ふ。
- 1834年
- 八重山で風疹で636人死亡、疫病で1996人死亡。
■ 近代(明治~)
- 1872年
- 琉球処分により琉球王国が琉球藩となる。
- 1879年
- 廃藩置県により琉球藩から沖縄県に。八重山も沖縄の一部となる。
- 1884年
- 診療所が創設。
- 1885年
- 与那国小学校が創立。
- 1888年
- 警察署を創設。
- 1893年
- 八重山病院与那国出張所を創設。
- 1895年
- 日本が台湾併合。
- 1903年
- 人頭税廃止。
- 1914年
- 与那国村が設立。
■ 太平洋戦争
- 1941年
- 第二次世界大戦が勃発。
- 1944年
- 日本軍が八重山の軍事強化。13000人の日本軍が常駐することとなる。
- 八重山各地の住民が、マラリア発生地区へ強制移住させられる。(戦争マラリア)
- 十・十空襲、以降、与那国島への空爆が多くなる。
- 1944年
- 12月 従軍慰安婦船への爆撃事故が発生。
- 1945年
- 4月1日 米軍が沖縄本島に上陸。
- 6月23日 沖縄戦終結する。
- 8月15日 終戦。
- 与那国島では、空爆で38名、マラリアで366人が命を落とす。
■ 琉球政府
- 1946年
- アメリカ軍政府は沖縄民政府を作り知事を任命。
- 第一回通貨交換、円からA軍票(A円)へ。
- 1947年
- 日本本土・沖縄と台湾・香港を結ぶ密貿易ルートの中継地として空前の活況を呈し、一時的な在島者も含めて実人口は15,000人を越えるようになったとされる。
- 1948年
- 第二回通貨交換、A軍票(A円)からB軍票(B円)へ。
- 1946年以降
- 琉球政府ができるまで、台湾や米軍との闇取引がさかんとなる。
- この頃、住民登録上の人口は5~6千人にもなる。50年以降は減少。
- 1952年
- 沖縄民政府は琉球政府となる。八重山は八重山庁となる。
- 1958年
- Bドル発行。
- 1961年
- マラリア撲滅。
■ 復帰後
- 1972年
- 沖縄が日本国に復帰。
- 1977年
- 2度にわたって、ベトナム難民が、与那国島に漂着。
- 1978年
- 7月30日 車が左側通行になる。
- 1986年
- 海底遺跡がダイバーによって発見。それ以降、観光スポットとなる。
- 1990年
- ドキュメンタリー映画『老人と海』が公開。
- 1996年
- 中国の弾道ミサイル事件。台湾総統選挙をめぐって、中・台関係の緊張が高まる。選挙当日が近づくにつれ、与那国島近海で中国軍のミサイル演習と台湾軍の射撃訓練が頻繁に行われる。与那国沖約60キロに着弾。
- 2003年
- テレビドラマ『Dr.コト―診療所』がフジテレビ系列で放映。
- その後、2004年には特別番組で、2006年には続編が連続ドラマとして放映。
- 2015年
- 2月 陸上自衛隊沿岸監視部隊配備の是非を問う住民投票が実施。賛成が632票で、反対の445票を上回る。
- 2016年
- 3月28日 与那国島に与那国駐屯地を開設、与那国沿岸監視隊を配備。
- 2018年
- 映画『ヨナグニ』の制作が開始。
- 2020年
- 2020年10月与那国島で映画『ばちらぬん』の撮影が開始。21年2月完成。
- 参考文献
- 小野雅司,豊川裕之,丸井英二,崎原墜造(1979).「沖縄県与那国島の人口変動と人口構造の変化」『民族衛生』 第45巻,第3号,pp.92-103
- 米城惠(2015).『よみがえるドゥナン 写真が語る与那国島の歴史』.南山舎[やいま文庫]. pp.258-285
-
山岡成俊(2021)『与那国島の歴史-歴史年表-』.島の散歩. ,(参照 2022-02-10)
http://shimanosanpo.com/churajima01/yonaguni00/rekishinen_99.htm